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『 父のカミングアウト 』

8月20日に母が高熱を出し、こもり熱(熱中症の一種で体内に溜まった熱が放出されないこと)か風邪で38度台の熱が続き、22日にいったん下がったものの、23日に38度4分に上がった為、救急車で病院へ

点滴で栄養と水分を補給しながら色々検査して、腎臓と肝臓の数値が悪化、十二指腸潰瘍が見つかり、まだ入院しております。

十二指腸潰瘍が見つかる前は点滴をやりつつ、ご飯をちょっとずつ食べていたのですが、



潰瘍が見つかってからは、首にカテーテルを入れて点滴。 抜かないように身体拘束着を着させられて可哀そうです。

日中全く動かないし、夜は拘束・・・ 食欲もわかず余り食べられません。

主治医に訊いたら、御飯がもう少し食べられるようになったらと(^_^;)

父は11時の面会から、夕食までずっと母に付き添っています。私は父を送り、母に昼食を食べさせ、家に戻り在宅で仕事をしたり、料理を作って父に運んだり、8月はそんな感じで過ごしていました。


父と夕食のスーパーに買い出しに行ったら、いつの間にかWaonカードを作っていました。ちょっとずつ都会での生活力が上がっています。



うちの父は戦争経験者で、もともとワイルドな野生児なので、しつこく言わないとお風呂に入りません(^_^;)

先日、母が寝る時間が多かったので、たまには父を休ませようと、早めに病院から家に戻り、

「お父さん、そろそろお風呂に入った方が良いよ。ご飯食べる前にお風呂入ってきたら?」と言いました。

「そうだな、たまにはそうするか。」と、珍しく同意してくれたので、

「頭も洗った方がいいよ。」と言ったら、

「どれがいいんだべ?」と言うので、「これ洗って漱ぐだけでいいから」とリンスインシャンプーを教えました。

お風呂に入ってさっぱりしたのか、夕飯を食べる前にリビングで、

父 「美和に心配かけさせたくないから言わないで来たんだけれども、俺はもしかすると前立腺がんかもしれない。」と言うではないですか!?

母の介護だけでなく、父もか!? 

私は「そうきたか・・・」と頭の中で思いました。


天は私を鍛えようとしている。


その日の夜は、これまでの私の言動にひとしきり反省して泣きました。


その日の夜SNSにつぶやいた言葉

『 親の介護を経験して
自分の器の小ささ、
至らなさ、
冷たさ、
色々垣間見ました。

しかし、時々成長も
感じます。

不完全な自分を
丸ごと受け入れたら、
か弱くなった母、
不安を抱える父が、
なんだか愛おしくなりました。

無条件の愛とは
そういうものなのかもしれない。』


夜は眠りが浅く、翌朝も早くに目が覚めました。

携帯をいじっていたら、6時半に電話が

父 「美和、台風の影響が出るかもしれないから、今日は行くの辞めよう。」

デラコ 「いやいやいや、大丈夫大丈夫。泌尿科経由してお見舞い行こう。」

と、半ば強制的にバスで泌尿科へ


その病院は震災直後から母の膀胱炎でお世話になっていますが、父は初診。奥様が東北出身で、親身な先生です。

先生 「あれ奥さんは?」

父 「今入院してるんです。今回は私が」

先生 「どうしました?」

父 「ずっと前からポリープがあって、育って来たから前立腺癌なんじゃないかと

先生 「え⁉︎ 見てみましょう」

と、場所がアレだから私は待合室へ


五分くらいして呼ばれました。


診察室に入ったら、

先生 「なんでもありませんでした。脂肪腫です。手術で取れるけど取らなくて大丈夫。」

一同笑う


もうね、カン違いにありがとうです。

いかに大切な存在であるか

身にしみて考えました。


診察が終わり目黒川と病院を背景に



川沿いを歩き、見舞いました。





色々ありますが
笑顔多めで
がんばります (´・Д・)v
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『 介護ラボ :初心者介護からの気づき 』

母が先週の火曜日から再入院しました。



入院中に貧血が進む、潰瘍による出血の疑いがあり、内視鏡検査を受けています。


もっと早く連れて来るべきだったか

自分はもっと介護に介入すべきだったか等、

反省しきりです

しかし、介護者の私は弱っちゃいられません


メンタルヘルスのプロとして、

こんな時こそ、内省して、実践から見えてくるものは、沢山あります。

今回のブログは気づきのお裾分けです。


今、矢作直樹さんの「おかげさまで生きる」を読んでおります。

その中で心に沁みた言葉、


「全ては学び」

どんなにうまくいかない時でも、今ある現実をいったん全部受け入れてください。

そして、うまくいかない理由ときちんと向き合ってみることが大切です。

あるがままの自分を受け入れ、


苦境から学ぶことが、

自分と周囲に対する最上の愛へとつながていきます。


介護をしながら弱った両親に、

イラつくこともあります。

ありますとも。

人間だもの

そんな時に、自分の器と否が応でも対峙します。

失敗もあります

明日はもっと優しくしようと、

反省


翌日優しく接して、

ありがとうと言って貰えた時、


幸福感を味わうことができます

その繰り返し。

デイルームに置いてあった本からも
励まされました。




「辛さ」や「悲しみ」を楽しむ能力。


「辛さ」は「辛さ」だけで構成されていないこと。

「悲しみ」は見方によっては、「楽しみ」にもなりうる。

自分の心を観ながら、

一歩ずつ前へ


『 震災と共に歩む ”ただ、やりたいことをやるだけ”という在り方 』

ワークショップデザイナー仲間あーちゃんのお誘いで、六本木の俳優座劇場に演劇を観に行きました。

お題は「千年の旗」。 

内容は、原発に一番近い福島県南相馬市立総合病院に医療支援を目的として埼玉県から移住してきた医師が、病院を飛び出して仮設病院に往診にいったり、地域住民とつながる活動を主催しながら、千年続く伝統文化の「相馬野馬追」に出るまでを描いた2時間半のヒューマンドラマです。






この劇のモデルとなったのは、福島県南相馬市立総合病院の小鷹昌明先生。 (写真の右端の方) お隣は監督で作・演出の小野川先生です。 (監督さんとはつゆしらず、うっかり写真撮ってくださいとお願いして、恐縮して小さくなってるデラコ)


昨年南相馬市の小高地区で行われた小鷹先生主催の”男の料理教室”にお手伝いとして参加、その後でやらせていただいた「自分も周りも笑顔になっちゃう☆ほめほめワークショップ」で出会いました。


長いアームを活かして、あーちゃんに自撮りしていただきました。 


午後2時の回に小鷹先生が舞台挨拶をされるとのことで見たかったけれど、満席でチケットが取れず、出待ちしてご挨拶出来ました。 再会が六本木で、かつ先生がモデルの演劇を鑑賞することになるとは!?

人生って本当に予測不可ですね。



主な舞台は地域住民さん達の憩いの場所である「寄ってこカフェ」。 ここのオーナーさんはご主人を津波で失くされた設定。主要な登場人物は、家族や家を津波で失った住民さん、除染作業員さん、奥さんを失くされたタクシードライバーさん、心臓に疾患を抱えた郵便局員さん等。
 

福島の南相馬市の事情を細かく取材して練られた脚本は、帰りたくても帰れない自宅を想う人、何もかも失ったけれど前を向いて生きようとする人、傷ついたそれぞれの想いを丁寧に書かれていて、俳優さん達は南相馬出身方々が演じてるの?と途中分からなくなるぐらい、熱のこもった演技をされていました。


福島の原発のエリアのありのままの姿を報道される機会も、ドラマ化される機会も少ないじゃないですか? 

家があっても帰れない。

家を失ってこれから先どうしていいか途方にくれる方の気持ち。

私は後者側の人間だったんだと、演劇を見て久しぶりに思い出し、涙がポロポロとこぼれました。

日常の生活に追われ、自分も当事者だったということを忘れかけていたのです。

こういったふとした瞬間に心の痛みが甦り、涙があふれてくるのです。

震災の心の傷というものは、中々癒えないものですが、徐々に痛みは涙と共に薄まって行くのかもしれないなと思います。

私は以前、香山リカさんと小鷹先生の往復書簡「 ドクター小鷹、どうして南相馬に行ったんですか?」を読んでおり、移住にいたる経緯、移住先での葛藤を読ませていただいておりました。

地域住民と何かしよう、何かしたいという試みは被災地で沢山なされてきておりますし、私も何回かボランティアとして参加しました。

地元の自宅を離れた仮設住宅の住民さん達。

全く縁もゆかりもない人を受け入れてくれる方もいれば、そっとしておいて欲しいと引きこもりになる方も中にはいらっしゃいます。

そんな心情を鑑みつつ、

「辛い時こそ、手作業が癒されるかもしれない。」

「それをきっかけに、人と人が出会えるかもしれない。」

と、男の木工教室、男の料理教室、男のウォーキング教室などを主催。

じょじょに信頼関係を築いていかれ、地元に愛される存在となっていかれました。

それらを小鷹先生は、自分自身が本当に楽しみながら継続し続けています。

運動があまり得意でないのに、仕事が忙しい中4時半起きで出勤前に乗馬訓練を100鞍こなし、伝統文化である相馬野馬追に挑戦。 中々出来ることではないと思いますが、

 小鷹先生「いやぁ、私はただやりたいことをやっているだけです。楽しそうだからやっているだけですけどね。」

と飄々とおっしゃる。

その塩梅がね、
絶妙なんだと思います。


都会から移住して来た人が、
地元を愛して、
楽しんでくれる姿が、
被災地で生きる
皆さんの心を
元気にしてくれているんだと思います。


そして、その在り方に共鳴した監督さんが取材を重ねて、ストーリーを紡ぐ。

福島に赴き、
その地で暮らす方々の

包容力や行動力。

孤独を抱えながらも
今を一生懸命生きる姿。

大切なものを失っても
強く生きていく命の力

を表現された、俳優さん達の演技に情景が浮かんできて、後半は涙が止まらなくなりました。

来年は紀伊国屋サザンシアターで再演されるそうです。宜しければ足を運んでみてくださいね。

いや~触発されて、私もまた何かしたくなっちゃいました! 母の体調が落ち着いたら旅に出ようかな。

一度きりの人生だもの 


南相馬でのほめ活の様子
『 ほめ達デラコの股旅日記 in 福島③ 南相馬で”ほめほめ”活動 』

東北で「ほめ活」をやり始めたきっかけと想いをつづっております。

『 在宅介護ラボ : 親の薬を減らす覚悟② 』

3度目の減薬に挑む

母の父に対する誤認・攻撃的な言動、について悩んでいた時に、学芸大学駅の本屋さんでコウノメソッドという新しい認知症治療の本を発見。一番近くで取り組んでいる三軒茶屋のメンタルクリニックに4年間ぐらいお世話になりました。

母の攻撃的な言動はアリセプトの副作用だったようです。アリセプトは認知症の中核症状と言われる記憶障害や判断力の低下といった認知機能障害の進行を遅らせることができるといわれていますが、副作用としてうちの母は、怒りっぽくなり、頻尿が悪化しました。

メンタルクリニックの先生の処方のおかげで、認知症状が落ち着いてきました。カウンセリングも丁寧で、信頼できる先生だと思います。

ところが、慣れない環境で暮らす後期高齢者である母は穏やかに、緩やかに、弱ってきていました。

家からも出たがらず、デイサービスも途中で辞めたので、訪問看護サービスを利用し始めて1年ぐらい経ちます。

母の体調が見るからに悪化したのは6月ぐらいから。 

月1回のメンタルクリニックにも通えない状態だったので、私一人で代わりに受診。 ふらつきがひどいとお伝えして、痛みどめのリリカの処方を前回倍にしたのを元に戻して様子を見たいと伝えました。

調剤薬局にふらつきと、多汗症気味と伝えたら、「腎機能が落ちていると腎排泄型の薬はたまっちゃうかもしれないから、飲んでて効いてないと感じる薬は減らしてもいいかも。」とアドバイスをいただきました。

主治医の先生に薬の減薬について相談してみたら、「私の所で一本化にされるならば、調整は出来るけれど・・・他病院の処方には口出しが難しい」とのこと。 それは1度目の減薬の時に胃腸内科から心療内科に転院する時に経験しましたので、事情はなんとなく察しました。 

7月31日の土曜日にメンタルクリニックの先生に又一人で代診、リフレックスという薬(副作用に多汗症、自律神経障害がある)とアモバンという睡眠導入剤を辞めたい旨を伝えました。 リフレックスに関しては、45ミリから始めの2週間は30ミリ、次の2週間は15ミリと段階を経て減らすことになり、アモバンは呑むのを辞めることになりました。

母が通えない状況の為、腎臓内科に一本化させていただく事を伝えて、指示書を出していただきこれまでの受診履歴を引き継いでもらえることになり、ホッとしました。

8月2日の火曜日に、主治医の先生が往診してくださることになっていました。

その前日、フェイスブックの認知症オンラインというサイトから、こんな記事が流れてきました。

寝てくれない…認知症の睡眠障害、理由と対応を考える

中盤の薬の副作用というタイトルの文中に現在母が呑んでいる薬(メマリーとレミニール)が2種類載っていました 

本文より
薬の副作用は食欲不振、不眠や昼夜逆転を引き起こしているケースもあります。例えば、認知症治療薬の>>アリセプトで興奮して夜寝られなくなったり、逆に>>メマリーでは眠気で寝込んでしまうという報告が多くあがっています。

うちの母は傾眠の傾向が強いので、リンクをクリックして読んでみました。

更に検索してみました。

そしたら、認知症ねっとに 
こう書いてありました。

メマリー(メマンチン)とは、中等度および高度アルツハイマー型認知症における症状の 進行を抑制する薬です。ただし、高度の腎障害の ある方は上限が1日10mgになるので注意が必要です。

うちの母は腎臓が不調ですが処方は20mg。上限を超えていました。 

メマリーのサイトの下に、レミニールについても記載されていました。

レミニール(ガランタミン)の概要・効果・副作用まとめ

肝機能や腎機能に重度の障害を持つ方にとっては、安全性が確立していないため、処方されないケースもあります。

頻尿、食欲不振、ふらつき・めまい、筋肉のこわばり(疼痛)、 日中の傾眠が見受けられます。

「上記のような副作用がでてきたら、薬の量を調整するか、症状を落ち着かせるための別の薬剤を処方してもらう等、医師に相談して対応することが大切」と書かれていたため、私は、メマリーに関しては10ミリ、 レミニールに関しては不安だと主治医の先生に伝えました。 念の為メンタルクリニックの先生と相談しながら、調整してくれる方向になりました。

母の体調の悪化が、薬のせいかどうかは分かりません。 

認知症の薬を飲んでも、症状は進むと言われています。

であるならば、薬による内臓負担を軽減して、

ふらつきを押さえて自分の足で歩く。

食欲不振を改善して、ご飯を美味しく食べる方が、

母のこれからの人生をより良くするのではないかと、判断しました。


今回伝えたかった事のまとめ。

① 家族の薬、およびその副作用を把握しておく。

② 薬を減らした場合は、体調の変化を細かく観察する。

③ 減薬に伴うリスクもありますので、勝手には判断しない。 
抗鬱剤、安定剤等の場合、離脱症状が出ることがあります。医師の指示に従いましょう。

④ 薬の変化については、関係医療機関等に報告すること。


御陰様で、母は眠剤を辞めて1週間、ちゃんと夜に眠れているようです。 

不必要な薬かどうか本人の判断が難しい場合、 家族の判断が求められますが、

薬を減らすことについて理解して応じてくださるお医者様と、 そうでない方もいるかもしれません。

伝え方にも考慮しましょう。



今、母が呑んでいる薬たち。 もう少し減らせるといいなぁ。


『 在宅介護ラボ : 親の薬を減らす覚悟 ① 』

皆様はご家族の健康状態、服用している薬をご存知ですか?

母が体調を崩すまで、私は多少気にかけていた程度で、把握しておりませんでした。父がずっと頑張って管理しています。まめな人で助かっております。





今回のブログは、母の体調変化に伴う減薬調整について書きます。内臓疾患を持っている人が長期服薬をする場合、「体調に悪影響が出る(副作用)可能性がある」事を伝えたくてまとめました。

長文ですので、2部構成にしました。 


1度目の減薬

うちの母は元々、20年ぐらい前に祖母が亡くなって介護から解放された直後から自律神経失調症になり、不眠、神経的な疼痛が現れました。 近所の内科で処方されたデパスを飲んだら、本人曰く「魔法の様に痛みが消えた」らしく、しばらくデパスと眠剤のハルシオンを常用してました。

その後10年ぐらい前くらいから、”せん妄”が起きるようになり、父を兄と誤認する現象が起こりました。

「どうしていいか分からない」と混乱する父から連絡が来て、東京から週末だけ気仙沼に帰省した事も数回ありました。

当時悩んでいた私は、近所のファミマでたまたま「9割の病気は自分で治せる」 という本を手に取りました。

その中に、「デパスとハルシオンは”せん妄”を起こすことがある。」と書いてあったのです。

(当時私は、「これだ~!」とコンビニで思わず声が出ていたと思います。 )

その本を購入して、親のかかりつけの主治医に相談し断薬、母の”せん妄”はなくなりました。

2度目の減薬

8年ぐらい前から心療内科からアルツハイマーの初期かもしれないということで、アリセプトが処方され始めました。

認知症の薬はそれ単体では処方されません。

だいたい、老人性ウツの薬もセットです。

震災直後に東京に避難してきた当時の母は、避難した隣の内科・理学療法のクリニックで胃薬、便秘の薬、アリセプト、向精神薬、眠剤等々合わせて15種類、26個(錠剤、粉末、カプセルを1個と数える)を処方されていました。 

デラコ 「これあまりにも多いんじゃないの?薬だけでお腹いっぱいになっちゃうよ? 」と父に言うと、

父 「医者が処方するんだからしょうがないんだ。だいじょぶだっぺよ。」と聞く耳を持ちませんでした。

母がちょっと具合悪いと父は隣のクリニックに連れて行き、その度に点滴を打たれて帰ってきました。

デラコ 「その点滴って何の点滴なの?」 と父に訊くと、

父 「知らない。何か薬だべ」と言うので

不安になってネットで、「点滴 やぶ医者」で検索しました。

点滴を使用するのは口から水が飲めない人への最終手段。簡単に点滴する医者には気を付けるべしと書いてありました。

無知な老人につけこんで、やりたい放題だったと思われます。

その直後、体調が悪化して先日入院していた総合病院で検査する事になりました。

その時東京K病院の担当医に、薬の飲み過ぎについて相談したのです。

お薬手帳を読んだ先生は、「確かに多めですね。 出来れば減らした方がいいかもしれません。」と言って下さいました。

母はその頃から腎臓のクレアチニンの数値が2.1ぐらいあって正常の人の倍ありました。

私は腎臓内科 目黒区で検索して、現在の主治医の先生に辿り着きました。

ただ、減薬させたいと家族が訴えても、お伺いした当初は判断がつきにくかったと思います。 そこを母の様子を見ながら15種類26個から7種類8個まで減らして下さいました。

この記事で伝えたかったこと。

家族としての直感に従う勇気を持つという事。

その時、どんな変化が起こっても対峙するという覚悟を持つこと。

それが家族の健康を護る、より良くする可能性を拡げます。

②に続く・・・

『 在宅介護ラボ:声掛けの工夫 』

母が退院して丸2週間になろうとしています。

御陰様でトイレまで毎日自力で歩けるようになりました~ ミラクル~☆
テーブルの椅子や壁につかまりながらも、慎重に歩く姿を見て時々ジーンと来ます 

ご飯もお粥からちょっと柔らかめに炊いた普通のご飯になりました 

しかし、食欲はあまりなく、

昼間も床に臥す時間の方が長めです 

でも、6月末から入院までの10日間ぐらいよりは身体機能は改善しています。

今日は訪問看護の方にお風呂に入れてもらったそうです。 

私とか、父が 「お風呂入る?」というと、おっくうがりますが、第三者の方にご協力いただくと、お風呂に入ってくれます。状況によりプロに委ねるのは、親にとっても、介護する身にとっても気が楽なのかもしれませんね 

今度見学させていただき、勉強してみます 

今回は食事の時の声掛けについて書きます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ユマニチュード入門を読む前の父は、薬を飲ませる為に、母にご飯を強いておりました。

食べない母を責め、 

私が行くと、「お母さんさっぱり食べねーの  」と愚痴をこぼしていました。

父のご飯を与えなければというプレッシャーと、寝起きで食欲のない母。

そんな状況を見かねて、

デラコ 「お父さん、寝起きに食え食え言われるのはキツイ。最悪ね、一回ぐらい食べなくたっていいんだよ。脱水だけはしないように気を付けて」

父 「いや、そんなわけにはいかねーんだ。薬を飲ませねば」 と良く言い争いになりました。

青いのよね、私  

今は多少「お願いします!」を取り入れて、スムーズなやりとりが出来るように努力しております

しかし、ユマニチュード入門を読んでからは、そんなに母に強制的にご飯を食べろと言わなくなりました。

自主性を尊重し始めたようです☆

すると、母も自分のリズム、調子に合わせて食べてくれるようです 

ただ、栄養失調の危険性が出ないように、私が行く時はどうにか食べさせようと工夫します。

どうしても父が用意すると、塩蔵の保存食中心になっちゃうから、飽きちゃうのかもしれません。

彩りの綺麗なおかずを買って行ったり、作っていったりすると、食べてくれます。

今日の昼は、その作戦で、カボチャの煮物、美味しそうで消化に良さそうな御惣菜の盛り合わせ(高野豆腐煮たのと、お豆腐のハンバーグともう一品)。 毎回はきついから、割と出来合いのものも利用して手抜きしちゃいます。

食べないと言っていたのに、美味しそうなのを買ってきて並べたら、食べくれました 

ゲリラ豪雨の中、運んで良かったです 

夕飯に再度訪問したらベットで寝ていて、

母 「今日はお腹いっぱいだから食べない。充分食べた。」

父 「そんなごど言わねーで、せっかく美和が持って来たんだがら食べろ。」と父が言いました。

色々考えて、こんな風に問いかけてみました。

デラコ 「お母さん、食べなくて良いよ。 でもね、テーブルに一緒に座って、お父さんの食べるのを見守ってもらっていい?」

と言ったら、

母 「良いよ。」とベットから起きてきて、よろつきながらもリビングのテーブルに座ってくれました!!

夕ご飯は、茄子とミョウガのぬか漬けがしょっぱくなったので塩抜きして、細かく刻んで生姜と合えたのをご飯と混ぜ、納豆に梅干しを入れたのを上にのせて、青紫蘇の千切りをトッピングしたものを作りました。 父と私2膳分もって、母のお茶碗にスプーンを添えてテーブルに載せました。

そしたら、頼まなくても父が母の分を取り分けてくれました 

父 「これくらいなら食べるか?」と訊くと、

母 「そうねぇ あんまりいらない。」と言いつつも、食べ始めてくれたのです!やった  

それに、宮城産のメカジキとエリンギのソテー、魚肉ソーセージとチーズのシソ巻、ベビーリーフのサラダ、ニンジンのぬか漬けを食べました。

今回の実践からの学び。

まず”食べる場”に巻き込む。

本人が箸を持ち、食べたい物に自分で手を伸ばすか見守る。

食べてくれたら、「あー 食べてくれると嬉しい。 安心する。」と笑顔で声をかける。


相手のリズムに自分をチューニングさせると、

場は調和するのだなぁと感じました。


こちらのサイトも勉強になります。

「なぜ食べてくれないの?」認知症の人の食事拒否への5つの対応

うちの母は嚥下機能が弱ってるのかもしれない・・・

調理方法を工夫しようと、この記事を読んで気づきました。 ありがたや!


対処方法を知っていると、 心に余裕をもって接する事ができます。

次は薬減らしへのチャレンジについて書こうと思います。
プロフィール

ほめ達!カウンセラー・デラコ

Author:ほめ達!カウンセラー・デラコ
本名:小野寺美和 
1969年生まれ 
東京都目黒区在住
宮城県気仙沼市出身。

「ほめ上手を増やして社会を良くする」を活動理念に、行政・企業・学生・婚活・育児・福祉施設支援として「ほめ方・ほめられ方」講座やワークショップを全国で開催。述べ600名以上(2016年6月末時点)

ほめる達人検定1級・ほめる達人検定認定講師。産業カウンセラー、ワークショップデザイナー


1990年恵泉女学園短期大学英文科を卒業後、バブル崩壊直後に証券会社に入社営業として4年勤務。その後外資系情報通信社に転職しクライアントサポートとして18年在籍。

2011年東日本大震災で実家が被災し、両親が上京。その年の暮れに所属部署が無くなり突然リストラに・・・

被災地の為に何か役に立ちたいと考え、一念発起して退職金を元手にカウンセリングを学びながら、2014年ほめる達人検定一級を取得。2016年ほめる達人検定認定講師として全国で活動。


個別ホメ相談(Skype)、ワークショップ・セミナーの
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ホメ相談(E-mail)もお気軽にどうぞ。
<相談内容・回答は匿名でブログで載せさせて
いただきます。>



趣味:テニス、サーフィン、座禅・瞑想、 おつまみの研究

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☆ アイムパーソナルカレッジ:カウンセラーコース修了
☆ 日本産業カウンセラー協会:産業カウンセラー
☆ 一般社団法人日本ほめる達人協会:
ほめ達検定1級・認定講師
☆ メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅱ種
☆ 青山学院大学ワークショップデザイン養成講座修了
☆ 青山学院大学ワークショップデザイナープラス修了
☆ 生涯学習開発財団認定:ワークショップデザイナー
☆ 財団法人ウェイクナーズ:「メンター講座」修了
☆ 第五期かさこ塾修了
☆ 港区ご近所イノベーション学校修了・総代

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